安田蒲鉾について About
History安田蒲鉾の歴史
蒲鉾の歴史の始まりは
敦賀から。
安田蒲鉾の始まりも、
敦賀から。
蒲鉾の歴史は大変古く、神功皇后が今の敦賀の地に滞在していたとき、魚肉を竹串に丸く付け、焼いて差し上げたのが始まりと伝えられています。「蒲鉾」という名は、その形が蒲の穂や、鉾に似ていたことが由来とか。安田蒲鉾は、江戸時代後期の文化四年(1807年)、敦賀にて創業いたしました。蒲鉾発祥の地で、小さな家内の手仕事として始めた蒲鉾づくり。今でこそ規模が大きくなりましたが、根底に流れる「自然の恩恵に感謝する気持ち」は今も昔も、変わることがありません。
戦時中に「缶詰の蒲鉾」を考案
チャレンジ精神溢れる老舗です。
蒲鉾のもととなる新鮮な海の幸。ありがたく使わせていただき、たくさんの人に喜んでいただきたい。社員一同、そんな思いで様々なチャレンジをしてまいりました。かつて、日本が戦争をしていた頃。外地へ派遣された兵士たちのために、「缶詰にした蒲鉾」を考案したのも、どこにいてもふるさとの味、日本の味を感じていただきたいという思いからでした。今日では、カマボコのみならず、海の幸を取り入れた多彩な食品をご提案し、新たなる食文化への創造に取り組んでおります。
皆様にお伝えしたい、
安田蒲鉾の思い。
それが
「母に見てもらう一枚の蒲鉾」
安田蒲鉾の思い。
それが
「母に見てもらう一枚の蒲鉾」
安田タネ子(代表取締役社長 安田誠太郎の祖母)による「母に見てもらう一枚の蒲鉾」は、安田蒲鉾の歴史であり、一同の思いです。皆様に少しでもお伝えできればと思い、少し長くなりますが要約文を下記にご紹介いたします(全文は安田蒲鉾店舗にてご覧いただけます)。
母に見てもらう一枚の蒲鉾
福井県の敦賀という小さな港町で、私の家は蒲鉾を作ってきました。創業年代は文化四年(一八〇七年)という昔ですので、きっと小さい家内の仕事だったと思います。
(略)
母は家娘で、七歳のときから番頭の肩車にのって、朝早い魚市場で材料の仕入れを見習わされ、家業の教育をさせたそうです。母は特に、「食べ物を作る者は、あさのいちばんにきっちりと髪を整え、鏡の前でにっこり良い笑顔を作って事を始めよ」と厳しくしつけてくれましたので、これが今日ほんとうにたいせつな心構えのひとつになっております。
(略)
召し上がっていただく皆様の食生活が、少しでも自然に近づいて、お役に立てばと祈る気持ちで、これからもさらに学び、努力を続けるつもりです。 また、技術的な努力だけではなく、作る者の心の姿勢もたいせつだと思います。でき上がってお店に並べられるまで、また、お客様のお口に入れていただけるまで、ほんとうに製品に話しかけ、不十分ですがありがとう、どうぞお幸せにね、とお店から送り出させていただいています。
私は祖父母、父母の仕事に対するひとつひとつの厳しい教育が、現在、愛情となって成長したことをありがたく思います。 ベッドの中で私の帰りを待ってくれる九十四歳の母に、一枚の蒲鉾を持って帰り、今日の出来をみてもらう日暮らしでございます。
(略)
母は家娘で、七歳のときから番頭の肩車にのって、朝早い魚市場で材料の仕入れを見習わされ、家業の教育をさせたそうです。母は特に、「食べ物を作る者は、あさのいちばんにきっちりと髪を整え、鏡の前でにっこり良い笑顔を作って事を始めよ」と厳しくしつけてくれましたので、これが今日ほんとうにたいせつな心構えのひとつになっております。
(略)
召し上がっていただく皆様の食生活が、少しでも自然に近づいて、お役に立てばと祈る気持ちで、これからもさらに学び、努力を続けるつもりです。 また、技術的な努力だけではなく、作る者の心の姿勢もたいせつだと思います。でき上がってお店に並べられるまで、また、お客様のお口に入れていただけるまで、ほんとうに製品に話しかけ、不十分ですがありがとう、どうぞお幸せにね、とお店から送り出させていただいています。
私は祖父母、父母の仕事に対するひとつひとつの厳しい教育が、現在、愛情となって成長したことをありがたく思います。 ベッドの中で私の帰りを待ってくれる九十四歳の母に、一枚の蒲鉾を持って帰り、今日の出来をみてもらう日暮らしでございます。